アジアを自由に飛び回るエスニック雑貨屋の面白仕入れ旅日記!

旅の終わりと夢のあとさき

今年ももう12月となりました。

ボクにとっては過去イチ旅をした1年です。

こんな旅をすることはもうないかもしれないので忘備録代わりに1年を振り返ってみます。

アジアの街を縦横無尽に駆け抜けた2023年。

どうぞお付き合い下さいませ。

体調を崩したままの出国

バンコクで入院した病室

2022年の12月30日。

ボクは体調を崩しバンコクの病院に入院していました。

しかしタイのビザが切れるのは翌日の12月31日。

この日になんとしてもタイを出国しないとオーバーステイになってしまいます。

あちこちの国を出入りするボクとしてはパスポートを汚したくありません。

体調はいまひとつでしたが明くる日退院してネパール行きの飛行機に飛び乗りました。

2022年大晦日にネパール入国

トリブバン国際空港

いつものように片道切符でのフライトです。

この時点では2週間のアライバルビザを空港で取得しての入国だったと記憶しています。

それがまさか2ヶ月半にも及ぶ滞在になろうとはボク自身も思っていませんでした。

Sponsored Link

ネパールビザの延長

ネパールのイミグレーション

ネパールは店舗のオーダー物やライブ販売での滞在が目的でした。

ライブコマース史上初めてとなるであろうネパールでのライブ。

全てが手探りでしたがそこは20年以上通い慣れた街。

思いの外ライブ販売が好評で滞在を伸ばすためビザを延長することに。

ネパールのイミグレーションに出向いての延長手続きです。

特に難しいこともなくお金を払いあっさりとビザは延長。

結局ネパール滞在は2月12日まで。

冷え込みが一番厳しい時期にネパールで過ごすのは骨が折れましたが充実した2ヶ月半でした。

2月12日ネパールからインドへ

インドのインディラ・ガンジー国際空港

どう言う経緯なのかすっかり忘れましたが「気の迷い」とでも言いましょうか(笑)

「もしかしてインドでライブ販売とか面白くね?」

そんな軽いノリで飛行機に乗ったんだと思います。

ボクが大嫌いなインド。

カレーが食べられない身としては本当に辛い国です。

しかしインドの大地に立った以上結果を残さなくてはなりません。

「しんどかったらすぐにタイに帰ろう」

そう思いながら定宿のあるメインバザール行きのタクシーに乗り込んだのを覚えています。

インドでのライブ販売も大好評

インドのメインバザールと牛

インドでもネパール同様店舗の仕入れとライブ販売が主な目的です。

ボクはインドとも20年を超える長い付き合いになります。

インド商人の手強さもインドと言う国自体の厳しさもよく分かっているつもりです。

インドでのライブ販売など狂気の沙汰と言ってもいいでしょう。

過酷なインドでのライブ販売はしんどい分だけお客さんに響いたようで連日大好評。

タイに戻るどころか滞在がズルズルと延びて行きます。

酷暑のインドでまたしても倒れる

インドの病院の病室

2023年4月8日。

インドの暑さが牙を向き始める時期です。

そんなタイミングで胃腸の調子を崩しまたしても入院。

部屋は個室で定宿より快適だったのですがなにしろ飯が不味い。

最初の2日間ぐらいはほぼ絶食状態だったような気がします。

しかし病状の方は快方に向かい15日には無事退院。

またしてもインドの路上に放り出されました。

デリーに飽き始める

インドのニューデリー駅

元々が飽きっぽいと言うのもありますがひとつ所にじっとしているのが苦手です。

よし!インドのラジャスタン地方でも回ってみるか。

そう思い立ったのが大きな間違い。

5月19日ヒッピーライクな旅人が集まるプシュカルに向かうためボクはニューデリー駅に立っていました。

暑さがピークを迎えるタイミングでインドのラジャスタンに向かうのは勇気が要ります。

日中の気温は楽に40度を超えて来るのです。

プシュカルにたどり着いたボクは激しく後悔しました。

暑いなんてもんじゃないのです。

殺人的な暑さにビビり一旦デリーに逃げ帰る

インドのプシュカルのラクダ

だって暑いんだもの。

死んじゃいそうなんだもの(笑)

5月28日デリーに逃げ帰りました。

はい。真夏のラジャスタン地方の暑さを舐めてました。

デリーの知り合いにそう伝えるとそりゃそうだと笑います。

真夏のラジャスタンではインド人でさえ日中は出歩くのを控えるそうです。

そんな季節の中路上でライブ販売とかね。

もう正気の沙汰じゃないんですよ(笑)

やっぱり飽きてしまうボク

インドの通り

デリーでのライブ販売では主に刺繍リボンや刺繍のバッグ関係がよく売れました。

インドはそこに立っているだけで厳しい国。

ボクの様なエスニック雑貨バイヤーでさえインドに入るのは極限られた一部の人間だけです。

なぜって?それ程に過酷で辛い国がインドなんですよ!

で。また飽きるわけですよ。

なんの弾みで話がそういう方向に向かったのか全く記憶がありませんが一番してはいけない選択をしてしまいました。

デリーから西果ての砂漠の街ジャイサルメールへ

インドのラジャスタン地方の女性達

もう一度書きますがインドが猛暑のタイミングです。

よっぽどのことがない限りそんなタイミングで西果ての砂漠の街に向かうバカはそうそういません。

その証拠にデリーからのフライトがないんですよ。

誰も行く人がいないから夏場は飛んでないんですね。

しかし一旦行くと決めたら何としてでも目的地にたどり着くのが雑貨バイヤーというもの。

6月25日。再びデリーの空港に立っていました。

飛べるのはジャイプールまで。

そこからは陸路でジャイサルメールを目指します。

これがまたとんでもない旅でございました。

バスの冷房が効かない

インドのバスの車内

車体にはしっかりハッキリ「A/C(エアコン)」と書いてあるのに窓が全開なんですよ。

走り出してからエアコンが入るものとばかり思っていましたが走り出してからも窓は愚か乗り降りするドアも全開です。

ドライヤーの熱風のような風が容赦なく襲いかかります。

11時に走り出した窓全開バス。

しつこいようですが気温は40度を楽に超えています。

バスの車内は気が狂わんばかりの暑さです。

水とビスケット。それにリンゴかバナナ。

インドを陸路で移動する際には必ずバックパックに入れておくべきものです。

全身で熱風を浴びながらビスケットを口に入れ温かい「お湯」で流し込みまんじりともせずに時間をやり過ごします。

11時にジャイプールを出発。

見知らぬ初めての街で宿と冷たいビールにありついたのが午後9時過ぎです。

どれほど過酷な道のりだったか想像出来ます?

ボクはバスの中で2回泣きそうになりました←

ジャイサルメールが燃えている

インドのカラフルな女性

6月25日ジャイサルメール着。

ボクの誕生日でもある7月4日に再びプシュカルに逃げ帰ってます。

だって!

だってだって!!

この時の日中の最高気温が46度っすよ!

未体験ゾーンです。

水を確実に手に入れられる状況が確保出来ない場合外を歩いていると生命の危機を感じるレベルです。

ちなみにこの時も陸路移動です。

暑すぎて人の往来がないので飛行機も飛んでいません。

いいですか。もう一度言いますが移動は陸路です。

流石にエアコンは効いてましたが9時間掛かってます。

この時も車内で2回泣きそうになりました←

プシュカル再び

プシュカルの安食堂から見ていた風景

灼熱のジャイサルメールからプシュカルに戻ると「生命の危機アラート」が鳴り止みました。

それでも気温は40度位はあったと記憶しています。

気温46度から40度の世界へ。

やだ。涼しい♡

プシュカルでの滞在は7月4日から7月20日まで。

そしてボクはまたしても進路の選択を失敗する事になります。

デリーを飛び越して何故かバラナシへ

ガンジス川で喪に服す男達

ぉぃぉぃぉぃぉぃぉぃぉぃ。

ココロのなかで何度も自問自答します。

これでいいのか?デリーを通り過ぎてバラナシとかバカなの?

細い路地だらけのガンジス川が流れる街でライブ販売とか狂気の沙汰なのです。

この時は飛行機で国内線を2本乗り継いでの移動でした。

しかしインドの国内線がどれほど面倒なのかボクは知りませんでした。

セキュリティーチェックを2回くぐったのですが2回とも手荷物の中身をほぼぶちまけられたと言って良いでしょう。

めちゃくちゃ厳しんです。

そしてチェックをするのは空港の職員ではなく兵士です。

有無を言わせない鋭い眼光と命令口調の指図が容赦なく襲いかかります。

2回のセキュリティーチェックをくぐり抜けヘトヘトになってバラナシに辿りついたのは日も暮れて街に明かりが灯る頃だったでしょうか。

バラナシでまた倒れる軟弱なボク

バラナシのマニカルニカーガート

バラナシ滞在は7月20日から7月29日まで。

情けないことにその殆どを寝て過ごしています。

結局ライブ販売は出来ないまま。

情けないバラナシ滞在となってしまいました。

インドは想像以上に大きい国です。

酷暑時にボクのように移動を繰り返すと痛い目を見るので皆さんはマネシないでねってする人はいないか(笑)

やっとデリーに戻る

デリーの携帯電話屋でSIMカードを購入

こうして移動を続けていると定宿のあるデリーのメインバザールはもはやホームです。

道を歩けば顔見知りに出会い立ち話。

宿に戻ればスタッフ全員がボクを知っています。

7月29日にデリーに戻りこの時の滞在は8月3日まで。

そしてようやくタイに帰ることになります。

インド長すぎ。本当にしんど過ぎ。

第二の故郷タイに帰る

スワンナプーム空港

8月3日にタイに入国しました。

インドから戻りスワンナプーム空港に降り立った時に湧き上がる万能感はハンパありません。

先ずはアパートに向かい荷解きもせずに近所の日本食屋に。

げっそりと痩せこけたボクの身体に日本酒の旨味が染み渡ります。

はぁ。

じんわりとアルコールが効き始め身体が弛緩するのが良く分かります。

これでしばらくのんびり出来る。

そう思って胸を撫で下ろした当時のボクをぶん殴って差し上げたい。

雑貨バイヤーってのはそんなに楽な仕事じゃねーんだよ!!

ネパールに飛べ!日本から司令が下る

ネパールの空とタルチョ

のんびりと羽を伸ばせたのは1ヶ月ちょい。

セイテンノヘキレキとでも言いましょうか?

秋冬物の洋服が欲しいからネパールに飛べ。

ある日血も涙もない容赦のない指示が日本から飛んできました。

ぇーマジかよー。

えぇ。雑貨バイヤーというのはそう言う仕事なんです。

9月9日再び機上の人に

ネパールの町

今年2回目のネパールっす。

まだ暑さの残る9月9日に入り現在に至ります。

今は朝晩結構冷え込むようになり厚手の上着が必要な気温です。

宿のお湯も出たり出なかったり。

冷え切った身体で部屋に戻りお湯が出ないのは本当に辛いっす。

日本人である以上やっぱり熱い湯船に浸かり風呂上がりのビールをこうキューッと。

まぁまぁの確率で叶わなかったりします。

それも後少し。

タイへ帰る航空券を手に入れました。

旅の終わりと夢のあとさき

ネパールの青い空

今年は・・・なんて振り返るのはまだ少々早いかもしれませんがこれ程移動を続けた1年は後にも先にも最後の様な気がするのでブログにまとめました。

なんとも奇妙な一年でした。

沢山の人と物に出会い地を這うようにして移動を続けた過酷な旅の記録です。

こうしてまとめてみるとよくもまぁ頑張ったもんだと自分を褒めて上げたい気分になります。

思い立ったら即行動。

何事もやってみないと分からない。

行ってみよう!やってみよう!!自分のこの目で見てみよう!!!

雑貨バイヤーと言うのはそんなマインドが無いと出来ない仕事です。

ネパールが滞在日数満了の150日。

もう1日もネパールに滞在することは出来ません。

インドが満了手前の173日の滞在。

インドは年間180日なのであと6日ほど滞在出来ます。

でももうお腹いっぱい。

明日12月7日の便でタイに帰ります。

年越しはバンコクでしょうか?

それともチェンマイかな?

日本のお正月が一番好きなので出来れば日本で新年を迎えたいのですがそうも言っていられません。

少しだけタイで羽を休めたらまたどこかの国へ移動することになるでしょう。

雑貨バイヤーとはそう言う仕事なのです。

関連記事

先日5ヶ月にも及ぶインド旅行からバンコクに戻って来ました。ボクはエスニック雑貨バイヤーと言う仕事柄インドとは20年以上の付き合いになります。しかし5ヶ月にも及ぶインド旅行は初めての経験。その長期に渡るインド旅行で気づいた日本から持っていっ[…]

インドの陽気なサドゥー達
Sponsored Link
インドのカラフルな女性
最新情報をチェックしよう!