「ガネーシャ」と聞けば、幸運をもたらすヒンドゥー教の神様として知られ、インドだけでなく日本でも非常に人気があります。
その名前の由来は「群衆(ガナ)の主(イーシャ)」を意味し、特に物事を始める際に最初に手を合わせる神様として有名です。
商売繁盛の象徴でもあり、多くの人々にとって欠かせない存在です。
このヒンドゥーの神様の名にちなんで、私たちはエスニック雑貨店「ガネーシャ」と名付けました。
本記事では、そんな名前の由来をもつ当店の、山あり他にありの奇跡をご紹介します。
どうぞ最後までお付き合いください。
エスニックファッション「ガネーシャ」の歴史
創業は1997年4月2日。宮城県塩釜市に位置する築40年の7坪ほどの小さな物件からスタートしました。
家賃はわずか3万円という、まさに小さなお店です。
当時、エスニックファッションを扱う店舗は非常に少なく、人口6万人の小さな港町でありながら、近隣の仙台市などからも多くの客足が訪れ、繁盛していました。
店主自ら現地に仕入れに出向き「他店にはない独自のユニークなセレクト」が、多くの人々に支持される理由となったのです。
突然の悲劇「店舗火災」
2002年、業績が好調だった「ガネーシャ」は、隣の店舗を借りて壁をぶち抜き、売り場面積を拡張しました。
しかし、2ヶ月目に突如として悲劇が訪れました。
2件隣の店舗から出火し、延焼により当店も全焼という大きな被害を受けてしまったのです。
特に惜しまれるのは、売り場の床面積が変更されたために火災保険を掛け直す必要があったことを失念していた点。
その結果、400万円の改装費と数百万円分の在庫が全て灰となり、無保険の状態で保証を受けられないという痛手を負いました。
さらなる悲劇「泥棒」
店舗火災で全てを失った数年後、「ガネーシャ」は再び雑草のように復活し、2店舗目、3店舗目の開店を果たしました。
順調に軌道に乗ったかのように見えたその数年後、再び試練が訪れました。
今度は泥棒の襲撃です。
この店舗はシルバーアクセサリーとレザー専門店であり、高額な商品が多かったため、窃盗団に狙われたのでしょう。
店舗脇の壁に大胆に穴を開けて侵入を試みましたが、ちょうどその場所には重たいショーケースがあり、侵入を断念せざるを得ませんでした。
幸いにも、この事件は未遂で終わり大きな損害は免れました。
ココロが折れた「東日本大震災」
2011年、さらなる悲劇が襲います。
皆さんもご存知の東日本大震災です。
店舗は床上浸水し、ほとんどの商品が水に浸かってしまいました。
この時、営業をどうするかというレベルではなく、生きることに必死だったことを今でも鮮明に覚えています。
私たちも津波に追われ、子供を抱えて山の上の神社に駆け上がり、九死に一生を得ました。
雪の降る寒い夜、小さなお社で震えながら一晩を過ごし、翌日目にした光景は一生忘れられられません。
この震災を機に、実店舗をお休みし、ウェブショップへと舵を切る決断をしました。
宮城県の沿岸部では、エスニック雑貨店に足を運ぶような状況ではなかったのです。
ネットショップ「ガネーシャ」の奇跡
「もうダメかも」と感じる重苦しい雰囲気が東北には漂っていました。
しかし、日本中が震災の影響を受けた東北沿岸部に目を向けてくれていたのです。
そのことに気づいたのは、震災後初めて打った楽天市場の1本の広告でした。
震災から1ヶ月以上経ち、再び開店できたガネーシャ楽天市場店。
広告が流れると、次々と注文が入って来たのです。
50件、100件、200件と、時間が経つにつれてご注文が増えていきます。
そして、注文数が500件を超える頃には、涙で画面が滲んでいました。
苦しい時期でした。
商売をたたもうかとも考え、生きる指標を失っていました。
しかし、その時、日本中の皆さんが私たちを助けてくれたのです。
止まらない注文の中には、「頑張って!」「応援してるよ!」というありがたいメッセージが添えられていました。
当たり前のことですが「画面の向こうには人がいる」ということを強く実感しました。
ウェブショップという顔の見えない商売でも、人の温もりがこれほどまでに伝わってくることに感謝しの言葉もありませんでした。
ガネーシャと忌野清志郎を祀る事務所の神棚
震災後、業績が急激に伸び始めました。
そのきっかけとなったのは、楽天市場の一本の広告と当店の看板商品である「ガネーシャ・サボサンダル」です。
当店の事務所には、火事の際に奇跡的に瓦礫の中に立ち、燃え残ったガネーシャ像と多くのガネーシャ様が祀られています。
また、私が尊敬してやまないミュージシャン「忌野清志郎」さんの遺影も飾られています。
彼との出会いがなければ、この仕事を始めることもなかったでしょう。
毎朝、始業時には神棚に塩を撒き、お供え物を変えて、スタッフ全員で手を合わせます。
画像の中央に立っているのが、開店当時から見守ってくれた火事で唯一残ったガネーシャ様です。
店舗の運営は、苦しい時期が多かったと記憶しています。
しかし、つまずいても転んでも、火事になっても津波を被っても、このガネーシャ様がいたからこそ、商売を続けることができたのかもしれません。
ガネーシャのこれから
震災後の法人成り
震災後、当店は法人成りを果たし、個人の店から株式会社へと成長しました。
これは、ピンチの度に支えてくださったお客様や現地の方々のおかげです。
私たちには、感謝の気持ちしかありません。
企業理念の基盤
ここまでの経験が、会社設立時の企業理念の基盤となりました。
私たちは店舗を運営するに当たりこの理念を常に考え行動しています。
仕事がある事により笑顔になる人達
私たちが扱うのは、アジアの名も知らぬ村で作られるハンドクラフトです。
アジアの貧しい農村部では、現金収入を得る手段がありません。
私たちエスニック雑貨屋が仕事を生み出し、適正な賃金を支払うことで、人々の生活が安定するのです。
「仕事を作ってくれることが何より嬉しい」とアジアの作り手の方々に言われるたび、背筋が伸びる思いです。
ここで重要なのは、中間搾取をなくすことです。
そのため、私たちは「現場」にこだわります。
手を動かしているその人に直接賃金を支払うことが大切だと考えています。
お買い上げ頂いたお客様の笑顔
また、商品をお買い上げいただいたお客様が喜んでいる様子は、顔が見えなくとも日々寄せられるコメントや商品レビューで感じ取っています。
生産から販売、そしてお客様まで、当店に関わる全ての人が笑顔になれるようにスタッフ全員が努めています。
私たちのやりがい
私たちの仕事は名も無いアジアの生産者とお客様をつなぐことです。
皆が笑顔になることで私たちも仕事にやりがいと喜びを感じます
この3者の間の笑顔の循環を「スマイルトレード」と名付け、企業理念としています。
どうぞネットショップ「ガネーシャ」を今後もよろしくお願いいたします。
この記事はエスニックファッションやエスニック雑貨を取り扱うエスニック雑貨店の経営者の方向けに書かれたものです。現在エスニック雑貨店の重要な仕入先であるタイは一般の外国人が入国するのが難しい状況が続いています。また今後もコロナウィルスの影響[…]